こんにちは。ライフコーチ大坂和美です。
先日、森沢明夫著の小説『虹の岬の喫茶店』(幻冬舎文庫)を読みました。
美味しいコーヒーとともに、お客さんの人生に寄り沿う音楽を選曲してくれる、小さな岬の先端にある喫茶店。
心に傷を抱えた人々の人生は、その店との出逢いと女主人の言葉で、大きく変化し始める…そんな物語。
終始あたたかい気持ちで読み進める中で、私は、ひときわ心に沁みいる言葉に出会いました。
人間って、生きているうちに色々と大切なものを失うけど、でも、一方では『アメイジング・グレイス』を授かっているのよね。そのことに気づけたら、あとは何とかなるものよ。
はっとさせられ、しばらく読み進める手がとまりました。
それはなぜだったのか?
過去への執着
いま私は、東京の郊外で家族5人で暮らし、ライフコーチ業を主な生業としています。
朝、小学生の子ども達を送り出したあとは、こども園に通う次女と絵本を読んで登園。
「行ってらっしゃい」
と送り出した後からが、自分の時間です。
セッションや講座、お世話になっている法人の仕事は、ほぼオンラインで完結していて
夕方に次女をお迎えに行ってからは、子ども達と会話したり、宿題を見たりしながら、夕ご飯を作って、一緒に食べて一緒に寝る(早い)という、そんなゆとりのある生活。
子どもに食物アレルギーがあるので、基本的には料理も手作りで健康的だと思うし、季節を感じながら過ごす今の暮らしを気に入ってもいて
けんかしつつも仲の良い3きょうだいを眺めながら、人生を通して成し遂げたいことをライフワークにできていることに、満足もしています。
それでも私には
「もしもあの時、別の道を選んでいたら」
と過去に執着してしまうことが、いまだにあったのです。
もしもあの時、別の道を選んでいたら
私が29歳の時、1歳の誕生日を迎えたばかりの長女が、食物アレルギーの最重症症状で生死を彷徨いました。
搬送された小児ERのドクターから
「この病院で受け入れた中で一番重症でした。助かって良かったですね。」
と言われ、なんとか一命を取り留めた娘。
私は安心感から脱力して、しばらくその場で動けなくなりました。
翌年4月に仕事復帰を控えていた私は当時、保活中。
重度食物アレルギーの長女を受け入れてくれる保育園を探したものの、当時住んでいた自治体からは「受け入れ不可」と断られ、実家近くへの引っ越しを考え、園を探し直していました。
けれども、誤食の不安から、なかなか気が進まず、最終的に私は、あと1年、復職しない選択をしたのです。
「もう1年経てば、アレルギーも良くなるかもしれない」
そんな希望を持って、育休を延長させてもらいながら育児に奮闘する毎日の中で、幸いにも息子を授かったものの、なんと、その彼にも重度の食物アレルギーがあることが発覚。
「もはやこれは宿命なのかもしれない」
そんな思いに打ちひしがれた私は、結局、育休から復職することなく、会社を退職する道を選びました。
「もしもあの時、復職していれば」
私は、会社員としてのキャリアを続けていただろうし、年に1回は家族で海外旅行に行ったりなんかも、していたのかもしれない・・・
他にも得られたものが沢山あったんじゃない?
そんな思いが、何年も何年も、特に自分のコンディションが悪い時には、ひょっこりと顔を出して、私を悩ませていました。
大いなる恩恵
そんな自分自身を知りながら出会ったのが、冒頭の言葉でした。
人間って、生きているうちに色々と大切なものを失うけど、でも、一方では『アメイジング・グレイス』を授かっているのよね。そのことに気づけたら、あとは何とかなるものよ。
『アメイジング・グレイス』
直訳すると『大いなる恩恵』
私にも、あの時、今の道を選んだから、授かっているものが沢山あります。
失うものもあったけれども、一方で、間違いなく私は、大いなる恩恵を授かっている…
改めてそれに気づかされた時、はっとして、ドタバタとけんかと遊びを繰り返す3きょうだいを眺めながら、とても幸福感を感じました。
そして、同時に思うのです。
もしもあの時、別の道を選んでいたら、私はこれらを手にしていなかったかもしれないな、と。
別の道を選んでいたら
得られたものもあるかもしれないけれど
失っていたものもあるかもしれない
そんな視点で見てみると、いま手にしている大いなる恩恵の豊かさに、感謝の気持ちでいっぱいになります。
そんなことに改めて想いを馳せた一冊。
ご興味のある方は、ぜひ読んでみてくださいね。