こんにちは。ライフコーチ 大坂和美です。
『春にして君を離れ』『愛の重さ』に並ぶ、アガサ・クリスティの愛の小説、『娘は娘』を読みました。
『春にして…』は夫婦間の、『愛の重さ』で姉妹間の愛情を取り上げた著者は、この『娘は娘』で、ひきあうと同時に反発しあう母と子を描いています。
本のタイトルである『娘は娘』…これがどういう意味を成すのか?
私は途中まで、それがよくわからなかったのですが、最後まで読み終わり「あぁ、なるほどなぁ」と、ため息交じりに納得しました。
そして、納得感と共に、なんというか、過去の自分への怒りや憤りが思い出されて、胸が締め付けられるように苦しくなりました。
それは後ほど綴るとして、まずはこの本がどんな内容なのか、裏表紙の解説からご紹介しますね。
若くして夫と死別したアンは、持てる愛情のすべてを注いで一人娘セアラを育ててきた。だが再婚問題を機に、二人の関係に亀裂が。貞淑で知られた母は享楽的な生活を送るようになり、誤った結婚を選択した娘は麻薬と官能に溺れていく。深い愛情で結ばれていた母娘に何が起きたのか?微妙な女性心理を繊細に描く。
再婚問題を機に娘と揉め、娘のために一生を棒にふったと嘆く主人公・アンは
- 自分が大事に思うすべてのものをなげうった
- あの子のためにすべてを犠牲にした
その恨みと憤りから、娘の一生がめちゃめちゃになっていくのを、止めることなく、傍観し続けます。
そして、その行動を正当化するために
いくら子どもを愛していても、子どもがひとり立ちすることを覚えなければならないときがくるのよ。母親が子どもを自分の所有物のように考えるのは間違っているんですからね。(本書より抜粋)
わたしには何の関係もないわ。あなたは自分で自分の道を選んだんじゃありまんせんか。(本書より抜粋)
と娘を突き放す…それが『娘は娘』というタイトルにつながっている、という、そういう物語です。
思わず「はぁ」と溜め息が出てしまいます。
子どもの幸せを願えなかった、あの頃。
この物語を読んでいて、私は、かつての自分を思い出さずにはいられませんでした。
第1子に重篤な食物アレルギーが発覚して保育園の入園を拒否され、キャリアのレールから外れた8年前。
社会から取り残されたように感じていた私は、不安や焦りから、子どもに対して当たる日々が続きました。
子どもの幸せを願えない…
そんな気持ちにすら苛まれたあの頃の、我が子の表情や光景は、今でも残像として私の中に残っていて、その姿と、主人公の姿が重なりました。
そして、物語の中で、主人公の娘セアラが
「お母さまはあたしがお母さまの一生を台なしにしたからあたしを憎んでいるのね。」
「お母さま自身、不幸せだったーだからあたしが不幸になるのを見たかったのよ。」
そう語るのを読みながら
「あぁ、私だって、そうなりかねなかった…」
と、あの時の自分を振り返るのです。
幸いにして、私は気がついた。
幸いにして、あの時、私は気がつきました。
「このままじゃ、子どもも私もダメになる」と。
「子どもの幸せを願えないなんて、そんなの嫌だ」
そう思った私は、コーチングを通して、まずは自分自身を明らかにすることから始めたのです。
そんな中で、だんだんと気持ちが満たされ、子ども達との関係性も良くなり、さらに、コミュニケーションを学んでいく中で、より良く家族と関わっていく喜びを知りました。
そんな一歩から丸4年。
あの時一歩を踏み出して本当に良かったな、と思いますし、一方で、私がコーチとして活動している根底にあるのは
大切にしたい家族の幸せを願えなかった自分への憤りや怒り
なのだと、あらためて気づかされたような気がします。
犠牲で厄介なのはね、その時限りで終わらずに、いつまでも尾を引くことよ…(本書より抜粋)
そのような言葉が本書の中にありますが、本当にその通り。
あの時の気持ちを引きずっていたら、今ごろ私はどうなっていたのだろう…と怖くなります。
色々と考えさせられる作品でした。
ぜひ、読んでいただきたいです!