「良かれと思って」という自分本位~『春にして君を離れ』(感想)~

こんにちは。ライフコーチ 大坂和美です。

「良かれと思って、誰かのために何かをする。」

あなたには、そんな経験がありませんか?

「あなたのために、良かれと思って言ってるの!」

そうダイレクトに言うことはなくても

「子ども達が楽しめるように」
「子ども達が悲しい気持ちにならないように」

”良かれと思って”何かを選択する、ということが、私にはよくありましたし、今でも、気づかないうちにそうしている、ということが、よくあります。

でも、”良かれと思って”誰かのために=利他の意識で選択し、行動しているつもりでも、実はそれは、あくまで「つもり」に過ぎない…

今回、とある小説を読み終え、その哀しく恐ろしい結末に衝撃を受けると共に、そう感じたのです。

その、とある小説というのが、こちら。

「春にして君を離れ」

(アガサ・クリスティー著、中村妙子翻訳 ハヤカワ文庫ークリスティ文庫)

もう70年以上前になる1944年にイギリスで発表された、アガサ・クリスティーの非ミステリー長編小説です。

2019年に鴻上尚史さんの人生相談コラムで紹介されて話題になったそうですね。

私もたまたまその時のコラムを読んでいたのですが、その時は、この小説にはアンテナが立たず、最近、何かの雑誌で紹介されていて、今回はじめて手に取りました。

どんな内容なのか?

本の裏表紙にまとめられた解説によると

優しい夫、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。が、娘の病気見舞いを終えてバクダッドからイギリスへ帰る途中で出会った友人との会話から、それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱きはじめる…女の愛の迷いを冷たく捉え、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス。

本を読み終えた私なりの解釈をお伝えすると

”良かれと思って”夫や子ども達の人生を導いてきた、自称・完璧な妻、完璧な母である女性が、旅の途中、ふと自分の家族や人生についての自分の認識に疑問を持ち「もしかしたら、これが真実なのかもしれない」ということに、気づいていくストーリー、というところでしょうか。

  • ”良かれと思って”してきたことは、本当に相手にとって良いものだったのだろうか?
  • 相手にとっての真相は何だったのか?
  • なぜ真相を知ろうとしなかったのか?

わたしがこれまで誰についても真相を知らずにすごしてきたのは、こうあってほしいと思うようなことを信じて、真実に直面する苦しみを避ける方が、ずっと楽だったからだ。(本書より引用)

だんだんと、主人公が気づいていくシーンは、もっとも印象的でしたし、私は、それ以上に、胸がしめつけられるような思いがしました。

なぜならば

「真実に直面する苦しみを避ける方が、ずっと楽だったから」

その一文に、「あぁ、まさに私自身もそうだ」と痛烈に思わされたから。

私の話

私には、3人の子供がいます。

そのうち上の2人の小学生には、命に関わるレベルの食物アレルギーがあります。

今でも、学校給食の代わりにお弁当を持参するなど配慮が必要で、主治医からは以前「多少良くなることはあっても、何でも食べられるようになる、とまではいかないと思う」と言われました。

それを聞いて、当時の私は、とっさに思ったのです。

アレルギーが全てじゃない。
治らなくたって良いじゃない?

食物アレルギーが治らなくても楽しめることはあるし
アレルギーだからこそ、得られる喜びもあるのだから…

その気持ちは決してウソではなく本当のものだったし、今でもその視点は私を励ましてくれます。

でも一方で、完治するという望みが絶たれた絶望感から、そう思わずにいられなかった、という面があったのも事実。

私は、その絶望感を子ども達に悟られないように、子ども達が感じないようにと願い、子ども達のために”良かれと思って”「アレルギーはギフトだ」という考え方を、無意識に子ども達にも押しつけていた…そんな面があるような気がしてならないのです。

なぜならば

「アレルギーが全部治ってほしい!」
「いつになったら治る?」

そんな子ども達の本音を知るよりも、「アレルギーはギフトだ」という捉え方を分かち合う方が、ずっと楽しくて心地よかったから。

「真実に直面する苦しみを避ける方が、ずっと楽だったから」

まさに、その通りだったのです。

「じゃあ、どうしたら良いの?」

「良かれと思って、誰かのために何かをする。」

大切な人を想い、彼らの幸せな人生を願う…それが自分本位なのだとしたら、じゃあ、どうしたら良いの??

かつての私だったら、そう憤慨するでしょう。

でも、私はコーチングやコミュニケーションの学びを通して、知りました。

相手にとって良いことは、相手が知っている。
相手に聴かないとわからない。

本当はどう思っているのか?
どう感じているのか?

真実に直面するのが怖い自分を認めつつ、聴いてみるしかない。

私自身、すぐにそれを忘れて、子どもの気持ちを勝手に決めつけてしまいがちなのですが、やっぱり、聴いてみるしかない。

その関わりが大事なんだと、今ならわかります。

「アレルギーが治ったら、パフェを食べてみたい!」
「小麦のパンを食べたい!」

そんな気持ちを聴いて「そうだね」と受けとめる、その覚悟を持ちながら。

そこからが始まりなんだな~と今は思うのです。

最後に

小説を読み終えて、時代や国、立場が違っても、同じような人間関係の悩みってあるんだな、と思いました。

あなたはどうでしょう?

「自分にも何かあるかもしれない」

そんなザワザワした気持ちがあるのだとしたら、そこに向き合ってみる良い機会なのかもしれませんね。

ぜひ、小説も読んでみていただきたいです!

ABOUTこの記事をかいた人

大坂和美

自分の未来が描けないあなたのライフコーチ。国際コーチ連盟アソシエイト認定コーチ(ACC)。ライフコーチワールド認定コーチ。重度食物アレルギーを持つ我が子の子育てに専念するためキャリアを断念し専業主婦となった経験から、育児等を理由にキャリア継続を断念し子ども優先で生きてきた女性が、子どもも自分も大事にしながら自分らしい生き方を実現することを、コーチングを通して支援している。