こんにちは。ライフコーチ大坂和美です。
昨日は、コーチング・コミュニケーションの講座に参加してきました。
コーチングを日本に紹介し、日本のコーチング界における草分けとされる伊藤守さんのご著書『コミュニケーション 100の法則』を読みながら
「これ今の自分にめちゃくちゃズシンと来る」
「心に響くな、、」
みたいな部分をそれぞれシェアしたり、それをもとに講師からレクチャーがあったりと、皆で学び合いました。

本の中で、特に今回、私にとって印象的だったのは
私たちはみな、いくつかの「未完了」のコミュニケーションをかかえている
と書かれた部分。
これまで「未完了」というと
・郵送予定の書類をまだ投函できてない とか
・コショウが切れていることはわかっている とか
日常の些細なことが自分のエネルギーレベルを下げてるな、という、そういうイメージが中心だったのですが
コミュニケーションの「未完了」
という視点で観てみると、それもまた、確かに私の中に存在しているのです。
自分の中に沈殿している澱(おり)のようなもので、決して見たいものではないのだけど、確かに、それはある、というか、、、
「あの時、本当はこんな気持ちだったけど、それを言わずに、うやむやにしたままなんだよな」
ということを、新しい視点から見つけた、という感じで、全然爽やかな気持ちではないし、見つけたからといって、すぐに何かに取り組めるかというと、そうではないのだけど(^^;

一方で、自分では気づいていなくても、関わる相手にとっては未完了のコミュニケーション、ということもありそうだな、と思ったのもひとつの気づきで
たとえば 子ども達が話しかけてきているのにスマホ片手で生返事してたりとか、パソコンで仕事しながらだったりとか、料理しながらだったりとか
そういうことってよくあるな、と。
なので、昨日決めたはじめの一歩は、改めて、子どもの話しを手を止めて目を見て聴くこと。
それが大事だとわかっていても、バタバタしていると忘れがちだから(^^;
その日の夜、さっそくやってみたところ、ものすごい頻度で話しかけられ
「すべて手を止めていたら、夜ご飯できません!」
という状態に陥ったものの、話しかけられる頻度がいつも以上に多く感じたのは、
手を止めて目を見て聴くことを意識して関わっていたからかもな、とも思いました。
「仕事や家事との折り合いをつけて、どんな基準で関わるのか?
そのあたりチャレンジし続けたいな(^^♪

そして、見つけてしまった澱(おり)についても、焦らずゆっくり、向き合ってみたいなと思います。
どんよりした気持ちになるけれど、未完了のコミュニケーションを完了できれば、きっと、軽やかに、人生をより楽しむ自分がいるはずだから。