自分史

大坂和美の人生ストーリーを自分史にまとめました。どんなコーチなのか、あなたとの相性を確認する、参考にしてくださいね。

学生時代・会社員時代

1982年生まれ3人きょうだいの長女。妹は2歳下。弟は9歳下。小3までは北海道室蘭市育ち、その後、父の転勤で広島県廿日市市へ。友達を作るために学習塾の夏期講習に通ったことから中学受験を目指すことになり、成績が上がることが面白く、晴れて国立の中高一貫校に合格・入学。中高6年間テニス部。その後、進学率ほぼ100%という環境の中、周囲の波に乗って大学受験し、一橋大学経済学部に進学しました。

大学入学後は、勉強についていけず挫折感を味わい、同時に体育会応援部の活動に夢中になりました。「人が真剣に生きることを応援する」ことが自分の喜びだと知った、今の仕事に繋がる原点のような気がします。

大学卒業後は、リクルートグループに新卒で入社。求人広告営業として2年半で400社以上の法人顧客の採用を支援。その後、人事に異動し、人事制度運用、ダイバーシティ対応、産休・育休者対応、退職者相談窓口等、4年にわたり担当し、最後は労務部門のリーダーを務めました。「一社一社、一人一人のビジョンや人生に寄り添う生き方」に、とってもやりがいを感じていました。

その頃、大学時代の同級生だった夫と結婚。第1子妊娠。「人生、このまま順風満帆に進んでいくんだろう」そんな風に思っていました。

子供に重度の食物アレルギーが発覚

「人生このまま順風満帆に進んでいくんだろう」そんな感覚で会社員時代を過ごし、出産とともに育休に入り、そろそろ保育園の申し込みの時期だなと思っていた矢先の2012年10月、それは娘1歳の誕生日を祝った翌日に起こりました。食物アレルギーの最重症症状アナフィラキシーショックにより、娘は意識を消失し緊急搬送。到着した救命救急センターで娘は、なんとか一命を取り留めたのです。担当医からは「当院で一番重症」だと告知されました。

当時私は保活中でしたが、誤食の危険があることを理由に保育園から入園を拒否されたこと、私自身にも不安があったことから、会社の制度を利用して育休を延長。その間第2子を授かったものの、第2子にも重症の食物アレルギーが発覚し、これは宿命なのかもしれないと会社を退職し、子どもと食物アレルギーに向き合うことを決めました。

同時に第1子が幼稚園に入園したタイミングで、住んでいる自治体で食物アレルギーサークルを立ち上げました。私自身が孤独で、誰かと繋がりたくてたまらなかったのです。

子どものためにがんばり続ける孤独と焦り

「自分のことは子どものあと」と治療に専念するも、食物アレルギーは一向に良くならず、社会復帰の目途も立たない状況の中で「アレルギーさえなければ」と子どもを責めるようになり、また、かつての同級生や周囲の働くママの活躍をSNSで見るたびに、羨ましさと劣等感で子どもにあたる日々が続きました。

ちょうどその頃、第3子の妊娠が分かりましたが「早くここから逃げて社会復帰したい」「もう5年もブランクがある」そんな焦りがとても強く、妊娠期間中は資格の勉強のために4時起き。出産後2か月目には、生後2か月の第3子を託児に預けて在宅Webデザイナー養成講座に通ったこともありました。

その間、キャリアカウンセリング面談も受けましたが「1年後の再就職に向けて、私にできることは?」という質問に、キャリアカウンセラーは「保活です」と一言。今の自分には何の価値もないと言われたようで辛い経験でした。たしかに社会復帰するならば預け先の確保が一番大事、と頭では理解できても、心はついていかず「このままじゃ、子どもも私もダメになる」とさえ思っていました。

コーチングとの出会い、そしてライフコーチへ

そんな時に、救いを求めて出会ったのがコーチングでした。「これかもしれない」と直感で感じ、コーチに連絡を取り、迎えた初セッションの日。私が、自分の焦りや孤独感を言葉にしていると、コーチはこんな質問をくれました。

「あなたが今、一番望んでいるものは何?」

はっとさせられました。これまで私は、働く自分に戻りたい、早くここから逃げたいと焦っていたけれど、その時ふと気がついたのです。私が本当に望んでいるのはそんなことではなく「いま目の前にいる、こどもたちとの時間」 だということに。今この瞬間の私は子どもを預けて働くことを望んでない…そのことに気づくと、なんだか肩の力がふっと抜け、その時から私は、子育てを楽しみ、子どもとの暮らしから学びながら、自分だけのキャリアを創っていこうと決めたのです。

その後も、コーチングを通して大きな変化を感じました。自分の望み、願い、自分にブレーキをかけるもの等、自分のことがどんどんと明らかになったのです。内面に変化が起きると行動にも変化が起き、私は会いたい人に会いに行き、やろうと思ってもやれていなかったことに着手するようになりました。そして、自分の人生に集中している充実感から、家族との関係性も格段に良くなりました。

3人の子供がいる専業主婦であるという現実は何も変わらないのに、私の見方が変わるだけで、私自身の幸福度や家族との関係性は驚くほど変わったのです。

そんな変化を与えてくれたコーチングをもっと深めたいと思い、第3子が1歳になったタイミングで、コーチングスクールの門を叩きました。

スクールではコーチングのスキルももちろん学びましたが、私にとって何より大きかったのは、子ども達のありのままを受け入れ、共に幸せに生きるためには、自分を犠牲にして家族のためにがんばるよりも、自分も家族も大切にするほうがうまくいく、という体験が得られたこと。

それを実感した私だからこそできることがあると思い、コーチとして生きることを決め、2019年1月にはライフコーチワールド認定コーチ、2020年3月には国際コーチング連盟認定コーチ(ACC)となりました。

現在は『自分も家族も大切にしながら、ひとりひとりが望む未来を実現する世界を!』というビジョンのもと、活動しています。