こんにちは。ライフコーチ 大坂和美です。
9月の三連休は、久々の秋晴れ。
清々しいを通り越して、日向は汗ばむような暑さでしたけれど、日陰は風が気持ちよく、ピクニック日和♪
ということで、家族でお弁当を持って、毎週日曜日にはプレーパーク化する大きな公園に行ってきました。

子ども達は、ロープクライミングやターザンロープ、虫探しに、大きなブランコ、木工製作、とそれぞれが夢中になって遊びまわり、夫と私は昼間からビール(笑)
「あぁ、幸せだ」と呟いてしまう瞬間です。
「子どものため」って本当?
そんなふうに、のんびり休日を過ごしていると
「子どものために、がんばってここまで来て良かった」
と思うのですが(自転車で坂を上り下りして片道25分くらいかかるし…)
実は「子どものため」でも何でもなく、私の価値観の中から
「これだったら、子どもも喜ぶかもな」
というものを選んでるだけ。

なぜなら、子どもがいくら喜ぼうと、私が子ども達を誘って、長時間オンラインゲームをしたり、何時間もテレビアニメを見続ける、なんてことはないから。
結局は、自分の価値観にあったものの中から選んでいる。

それに気がついたことは、言われてみると当たり前かもしれないのですが、実は、自分の中では結構大きな衝撃でして、、、
というのも
『価値観の違うあの人も私も、やっていることは同じなんだ』
ということに気づかされたから。
自分の価値観にあったものを選んでいる。
恥ずかしながら私は、結構長らくの間
「子どもは自然の中でたくさん遊ぶことが大切だし、子どもも喜ぶ♪」
ということを信じて疑わず、沢山ある価値観のひとつだということに、気がついていなかったのです。
同じような価値観を持つ人と同じコミュニティにいると、尚更気づきにくくて(←言い訳(笑))
だから時に、価値観の相容れない人に対して
「そんなことして、本当に子どもは喜ぶの?」
と敵視していたことさえあったりして(;’∀’)
でも実は
「自分の価値観にあったものの中から選んでいる」
という意味では、価値観の違うあの人も私も、やっていることは同じなんだよなーと。
その気づきに私は、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けたわけですが、それと同時に
「そっか、あの人も私も一緒なんだ」
と、ふっと力が抜けるような感覚があって、そして徐々に、価値観の違う人たちへの共感と敬意が芽生えてくるのを感じるようになりました。
自分は正しい、相手は間違っている、とジャッジ(評価)することがなくなった、という、そんな感じでしょうか。

だからといって、休日天気の良い日は、子ども達を外で遊ばせながらビールを飲んでいたーい、という、私の価値観が変わるかというと、そうではないのだけど
違いを受け入れるって、そんなところから生まれることもあるんだなーと、そんなことを考えながら、夕方までたっぷり遊び、帰宅したのでした。
楽しい休日でした(^^♪