【”自分の未来”が描けない あなたのライフコーチ】

1982年生まれ。食物アレルギー児2人を含む3児の母。大手企業勤務の父と専業主婦の母の元に生まれ、国立の中高一貫校に進学、一橋大学に現役合格。卒業後はリクルートグループに就職。営業・人事を経て、28歳で結婚・出産。夫の中国単身赴任中、第一子が1才の誕生日を祝った翌日にアナフィラキシーショックで救命救急センターに緊急搬送。生死を彷徨う。医師から「当院で過去一番重症」と告知。保育園入園拒否により、キャリア継続を断念、専業主婦へ。第二子も重篤な食物アレルギー発症。治療の成果なく、社会復帰の目途が立たず、「私の人生どうなっちゃうんだろう?」と呟いた自分の声を聞いた時、何かに人生を委ねている自分に気づき、ライフコーチをパートナーとして人生を再構築することを決断。「自分の人生は自分で創る」生き方を開始。現在はライフコーチとして、人生を自分の手に取り戻し、本当に望む未来に向かって、自分らしく生きていくことを応援している。ライフワークとして、2015年より食物アレルギーの子と親の為の交流サークルを主宰。

詳細プロフィール(自分史)については、以下よりご覧ください。
1 学生時代・会社員時代

1982年、東京都生まれ3人きょうだいの長女。妹は2歳下。弟は9歳下。小学校3年生までは北海道室蘭市で育ちその後、父の転勤で広島県廿日市市へ。友達づくりの為に通った学習塾が中学受験コースだったのでそのまま中学受験。合格し、国立の中高一貫の進学校へ入学。進学率ほぼ100%という環境の中、周囲と同様、大学受験し一橋大学に合格。

入学後は、学問よりも、入部した体育会応援部の活動に夢中になっていました。「人が真剣になっている姿を応援する」ことが大好きで「この人に応援してもらえるから頑張れる」と思ってもらえるような人になるため時には倒れるほど、練習していました。

4年間部活動をやりきった後、リクルートグループにて新卒で勤務開始。求人広告営業として2年半で400社以上の法人顧客の採用を支援。その後、人事に異動。人事制度運用、ダイバーシティ対応、産休・育休者対応、退職者相談窓口等、4年にわたり担当し、労務部門のリーダーを務めました。「一社一社、一人一人のビジョンや人生に寄り添う生き方」に、とってもやりがいを感じていました。

その頃、大学時代の同級生と結婚。同時に、第一子妊娠。「人生、このまま順風満帆に進んでいくんだろう」そんな風に思っていました。

2 こどもに重篤な食物アレルギーが発覚

「人生このまま進んでいくんだろう」そんな感覚で会社員時代を過ごし、結婚・第一子妊娠・出産とともに育休に入りました。育休中は子育て中心の生活を送り、そろそろ保育園の申し込みの時期だなと思っていた矢先の、2012年10月、それは娘1歳の誕生日の翌日に起こりました。食物アレルギーの最重症症状アナフィラキシーショックにより娘は緊急搬送。救急救命士の指示に従いながら子どもの名前を呼び続け、子どもの足の裏を叩き続け、なんとか、なんとか、救命救急センターへ到着。一命を取り留めたのです。

誤食の危険があることを理由に保育園から入園を拒否された為、会社の制度を利用して育休を延長させてもらいました。その間第二子を授かったものの、第二子にもまさかの重症の食物アレルギー発覚。これは宿命、いや使命なのかもしれないと思い、会社を退職。こどもと、そして、アレルギーと向き合うことを決めました。

そして、第一子が幼稚園に入園したタイミングで食物アレルギーサークルを立ち上げました。

これが、サークルのロゴです。両手に持っているのは、色とりどりのアレルゲンの風船。アレルギーは、子ども達を彩る個性のようなもの。でも、いつかそれを手放せる日が来ますように、そんな願いが込められています。仕事を辞めた分、何かに打ち込まなくちゃ!そんな気負いもありましたが、友達と気軽に外食したり、食べ物が出るような親子イベントにも誤食が心配で参加できずに孤独感を抱えていたので、誰かと少しでも悩みを分かち合いたい、そんな気持ちが、活動の原動力でした。

3 専業主婦であることへの焦り

食物アレルギーサークルの活動を通して、アレルギーの悩みを分かち合える
仲間と出会えたものの、一向に良くならないアレルギーの治療経過や、社会復帰の目途も立たない状況に対して、「この先、私の人生どうなっちゃうんだろう」 を強く感じるようになりました。かつての同級生たちや周囲の働くママの活躍をSNSやメディアで見るたびに、羨ましさと、劣等感で子どもにもあたる日々が続きました。仕事をしていない自分。それを受け入れられなかった。今思うとm「自分の人生の困難を、アレルギーのせいにしている」、そんな自分がそこにいたように思います。

ちょうどその頃、第三子に恵まれたのですが「早く社会に復帰しないともう二度と、幸せにはなれない」「もう5年もブランクがある!」そんな焦りがとても大きく、妊娠期間中は資格の勉強のために4時起き。出産後2か月目には、生後2か月の第三子を託児に預けて「在宅でWebデザイナーを目指す」講座に通ったり、「ハイキャリア女性の再就職」を謳った人材会社のキャリアカウンセリング面談も受けました。

「1年後には絶対再就職したい。そのために私にできることは何ですか?」そんな私の質問にキャリアカウンセラーは「保活です」と一言。今の自分には何の価値もないと言われたようで、すごく辛かった。でも、たしかに 社会復帰するには預け先の確保が一番大事だよな、とも納得したことを思い出します。それでも、何かモヤモヤしたものが残りました。

4 コーチングとの出会い、そしてライフコーチへ

キャリアカウンセラーとの面談で残ったモヤモヤ。その正体に気づかないまま、取り入れたのがコーチングでした。「コーチング」という言葉は、10年以上前から知ってはいましたが、どういうものかは、よく知りませんでした。たまたまインターネット上で「自分らしい人生を歩みたい人」と広告が出ていて、「これかもしれない」ってピンと来たんですよね。

そして迎えた、 初セッションの日。私が、自分の焦りや孤独感をひたすら言葉にしていると、コーチは、こんな質問をくれました。

「あなたが今、一番望んでいるものは何?」

はっとさせられました。これまで私は、働く自分に戻りたい、周囲の働くママに肩を並べたい、ただその気持ちで焦っていたけれど、その時ふと気がついたのです。私が本当に望んでいるのはそんなことじゃない。私が心から大切にしたいのは「今、目の前にいる、こどもたちとの時間」 だということに。キャリアカウンセラーに「保活です」と言われたときのモヤモヤした違和感、その原因もここにあった。今の私はこどもを預けて働くことを望んでない。その事に気づいたらなんだか肩の力がふっと抜けて、今まで感じていた焦りはスーッと消えて、そして私は、その時から、子どもと過ごす時間から学び行動し、今この瞬間から自分だけのキャリア、自分らしい人生を生きていこうと決めたのです。

誰かや何かに委ねるのではなく、「自分の人生は自分で創る」そんな生き方を始めたのです。

コーチングを受け始めてから、自分自身、自分の置かれた状況に大きな変化を感じました。新たな出会いがあったり、自分の影響範囲が広がったり、夫やこどもとの関係性も格段に良くなりました。自分の人生を生きていこうと覚悟を決めれば誰だって、いつからだって人生は変えられる。本当にそうなんだな、と確信しました。

同時に、自分自身にそんな変化を与えてくれたライフコーチの生き方に、学生時代・会社員時代にやりがいを感じていた「人を応援する生き方」「ビジョンや人生に寄り添う生き方」に通ずるものを感じて、私もライフコーチとして生きていきたいと強く思いました。その想いを実現すべく、日本にはまだ30人強しかいない国際コーチ連盟最高峰資格MCC保持者の林忠之氏のもとでトレーニングを重ね、今は、プロのライフコーチとして活動しています。

その後、ご縁があって2018年、くにたち男女平等参画ステーションにライフコーチとして採用され、スタッフとして勤務を開始しています。

(終わり)