こんにちは。ライフコーチ 大坂和美です。
『春にして君を離れ』のあまりの面白さに魅せられ、アガサ・クリスティーの非ミステリー小説を読む日々が続いています。

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「良かれと思って」という自己本位~『春にして君を離れ』(感想)~
今回読んだ『愛の重さ』も、とても心に響くものでした。
まず、本の裏表紙の解説をご紹介しますと…
ローラは寂しい少女だった。両親の愛は、若くして死んだ兄に向けられ、さらに生まれたばかりの妹シャーリーがその愛を奪おうとしている。ローラは嫉妬を覚えた。だが、家が火災に見舞われ妹を救い出したことで、ローラは愛する歓びを知り、ひたすらシャーリーに愛を注ぎこむ。それが妹との重荷になるとも知らず…。
妹を愛するあまり、あらゆる害悪から彼女を守ろうとする主人公ローラ。
自分の価値の基準を妄信し、究極とも言える、ある行動を起こすローラの姿には、本を読み進める一読者の立場として、「そこまでやる?」と違和感を感じるのですが
ふと自分自身に意識を向けてみると、程度の差こそあれ、こういった部分は自分にもあるなぁ、と思わされます。
- 子どもが悲しい思いをしないように、何か不都合(だと私が考える)ことから子どもを守ろうとするのも、同じことじゃない?
- 子どものために何かを成した、というエピソードをSNSに投稿すれば、たくさんの「いいね!」がつくけれど、それも、同じような価値の基準を持っている人同士だから、なんじゃない?
そんな疑問が次々と湧いてくるのです。
そんな私に対して、本書では、ローラの父親の友人で、のちにローラの友人ともなる学者の言葉を通して、こう伝えてくれました。
だいたい、他人の生活に首を突っこんで、いいように按配することなんぞ、できるこっちゃない。(本書より引用)
本の終わりに近づいた頃には、主人公ローラも、こう言います。
どうして人間は、ほかの人にとって何がいちばんいいことか、当人より自分の方がよく知っているような気になるのでしょう?(本書より引用)
本人にとって何がよいことか、悪いことか、それは本人が知っていること。
「誰かのために」が本当に本人のためになっているのか?
それを操作することなど、できやしない。
本を読み終えて、そんなことを私は、しみじみと感じました。
そして、先述の学者が発した
他の人間の人生を肩代わりするわけにはいかない。
あんた自身にかかわることだけが、あんたの問題なんじゃ。
という言葉が心に響きます。
本当ですね。(私含めて)お母さん、自分の人生を生きましょう!
ぜひ、小説も読んでみていただきたいです。